猫なで声、どっちの声なんだ問題 国語辞書ひきくらべ
複雑化・高度化する現代社会。解決を要する様々な問題が顕在化しています。そうした難問のひとつに「猫なで声、どっちの声なんだ問題」があることは読者諸賢の知るところでありましょう。
「猫なで声、どっちの声なんだ問題」とは、要するに、「猫なで声」というのは、猫がなでられているときに出すような声(猫の声)なのか、それとも人が猫をなでるときに出すような声(人の声)なのかという問題です。
twitterの投票機能を用いて簡易的な調査を行ったところ、非常に興味深い結果が得られました。
「猫なで声」はどっち?(直感で答えてね)
— ながさわ (@kaichosanEX) 2021年8月17日
ご覧の通り、「猫の声」派と「人の声」派が見事に二分されており、社会の分断が進んでいることが垣間見えます。
じゃあ「正解」はどっちなのかというと、今のところ「昔からどっちもあった」としか言えないようです。小学館の辞書編集者だった神永曉は、「猫なで声」が「人の声」の意で用いられている『人天眼目抄』(1471〜73年)の例と、「猫の声」の意で用いられている『祇園物語』(1644年頃)の例を紹介した上で、
「猫なで声」はかなり古くから意味が揺れていたのである。
と結論しています*1。
あるいは『新明解語源辞典』にも「猫撫で声」の項目があり、以下のように両説が併記されています。
「猫撫で声」の解釈には、人が猫をかわいがって撫でる時の声音とするものと、猫が人にかわいがられている時に出す媚びを含んだ柔らかい甘え声とするものとがある。
――小松寿雄、鈴木英夫(2011)『新明解語源辞典』三省堂
もっとも、「人の声」派の『人天眼目抄』と、「猫の声」派の『祇園物語』には、およそ170年の隔たりがあります。今から170年前といったら黒船が来航して夜も眠れないくらいの時期。ことばが変化するのには十分すぎる期間です。この間のミッシングリンクをつなぐ用例が見つかるといいですね(お前が探せ)。
「猫なで声、どっちの声なんだ問題」には国語辞書も頭を悩ませているらしく、いろいろな書き方がなされています。本稿の目的はそれを比べてみることです。国語辞書はどっち派なのでしょうか。
※以下、辞書からの引用では約物・ルビなどを省略。
多いのは両者を併記するパターンです。
かの『広辞苑』もそうですし、
ねこなで‐ごえ【猫撫で声】猫をなでるように、当りをやわらかく発する声。相手をなつかせようとする時の声。一説に、猫が人になでられた時に出す声とも。「―で話しかける」
――『広辞苑』第7版(2018年)
最近改訂された『明鏡国語辞典』もそうです(初版からほぼ同じ)。
ねこなで–ごえ【猫撫で声】[名]人の機嫌をとるときに出す、甘くこびるようなやさしい声。[参考]猫をなでてかわいがるときの声が甘ったるいことから。また、猫がかわいがられたときに発する声からともいう。
――『明鏡国語辞典』第3版(2021年)
このほか『日本国語大辞典』『岩波国語辞典』『新選国語辞典』『現代国語例解辞典』『ベネッセ表現読解国語辞典』あたりが両説を併記しています。
「猫の声」説のみを扱う辞書もあります。
ねこなで‐ごえ【猫撫で声】猫が人になでられたときに発するような、きげんを取るためのやさしくこびる声。「―で頼み込む」
――デジタル大辞泉(2021年9月現在)
ねこなで-ごえ【猫撫で声】(猫がなでてもらったときに出すような)やさしく人にこびるような声。「―でねだる」
――『旺文社国語辞典』第11版(2013年)
ねこなで-ごえ【猫撫で声】⦅ネコがなでられたときに発する甘え声の意で⦆人の機嫌をとろうとして出す、やさしくこびる声。「―でさそう」
――『学研現代新国語辞典』改訂第6版(2017年)
「デジタル大辞泉」は小学館の辞書ですが、同社から出ているほかの国語辞書『日本国語大辞典』『新選国語辞典』『現代国語例解辞典』は軒並み両論併記型で、『大辞泉』だけ足並みがそろっていません。出版社が同じだからって、見解まで同じというわけではないのです。
さて、では「人の声」単独説の辞書もそれなりにあるかなと思ったら、これが不思議と少なく、現行の一般向け辞書では全くといっていいほど見当たりません。
『大辞林』がそうなのかなと一度は思ったのですが――
ねこなで ごえ【猫撫で声】猫を撫でたときのような、やさしくこびを含んだ甘ったるい声。「―で呼びかける」「それも赤シヤツのねち/\した―よりはましだ/坊っちゃん漱石」
――『大辞林』第4版(2019年)
これは「猫の声」と解釈するほうが自然でしょうか。どうやら、現在の国語辞書シーンでは「猫の声」派が若干優勢のようです。
さて、先に両論併記タイプの辞書が多いということを確認しましたが、実は最初からそうだったわけではありません。
たとえば、『広辞苑』の初版は以下のような語釈でした。
ねこなで‐ごえ【猫撫で声】(猫が人に撫でられる時に発する声の意)やさしく媚びるような声。やさしく甘えた語調。
――『広辞苑』初版(1955年)
「猫の声」派です。
これが、次の版でこうなりました。
ねこなで‐ごえ【猫撫で声】猫をなでるように、決して荒立てず、当りをやわらかく発する声。相手を何としてもなつかせようとする時の声。
――『広辞苑』第2版(1969年)
えっ! 「人の声」派に転向している!? 語釈も「決して荒立てず」「相手を何としてもなつかせようとする」など必死さが増しています。そして、現在と同じ両論併記になるのは、1998年の第5版を待たねばなりません。
『広辞苑』と同じ岩波書店から出ている『岩波国語辞典』も、『広辞苑』と似たような経緯を辿っています。
最初は次のように「猫の声」派でしたが、
ねこなでごえ【猫撫で声】人の機嫌を取るために、やさしそうに出す声。▽ネコが頭をなでられた時に出すような甘えた声の意。
――『岩波国語辞典』初版(1963年)
改訂して「人の声」派に鞍替えしました。
ねこなでごえ【猫撫で声】人の機嫌を取るために、やさしそうに出す声。▽ネコをかわいがる時の甘やかした声か。
――『岩波国語辞典』第2版(1971年)
自説を曲げるのには不安があったのか、「声か」と少々自信なげなのが面白いです。
そして、1979年の第3版でほぼ現在と同じ形になりました。最新版の語釈は以下のようになっています。
ねこなでごえ【猫撫で声】人の機嫌を取るために、やさしそうに出す声。▽猫をかわいがる時の人の甘やかした声からか。猫が人になでられた時に出す声からとも。
――『岩波国語辞典』第8版(2019年)
相変わらず自信なげです。
面白いことに、『新選国語辞典』と『現代国語例解辞典』も、最初は「猫の声」派でした。
ねこなで-ごえ【ねこなで声】[猫撫で声][名]ねこが人になでられるときに出すような、やさしくこびる声。
――『新選国語辞典』初版(1959年)
[ねこなで-ごえ 猫なで声(猫撫で声)]猫が人に甘えるときに出すような、やさしくこびを含んだ人の声音。「猫なで声で小遣いをせびる」
――『現代国語例解辞典』初版(1985年)
両者が「人の声」説にも触れるようになるのは、それぞれ1994年の第7版、2001年の第3版です。
ちなみに、『日本国語大辞典』と『明鏡国語辞典』は初版から両論併記型でした(なお、『日本国語大辞典』の前身にあたる『大日本国語辞典』は「猫の声」派です)。
こんがらがってきたので、年表形式で整理してみます。辞典名は適当に省略しました。
1995年 『広辞苑』初版 「猫の声」派
1959年 『新選』初版 「猫の声」派
1963年 『岩波』初版 「猫の声」派
1969年 『広辞苑』第2版 「人の声」派に転向
1971年 『岩波』第2版 「人の声」派に転向
1975年 『日国』初版 両論併記
1979年 『岩波』第3版 両論併記に
1985年 『現国例』初版 「猫の声」派
1994年 『新選』第7版 両論併記に
1998年 『広辞苑』第5版 両論併記に
2001年 『現国例』第3版 両論併記に
2002年 『明鏡』初版 両論併記
現在主流派を形成している両論併記の辞書たちが、『日本国語大辞典』が出て以降ドミノ倒しのようにバタバタとこれを採用している様子がはっきり見て取れます。
メジャーどころの国語辞書を紐解いてみると、たしかに両論併記を採用したのは『日本国語大辞典』が早いようです。ただ、『日本国語大辞典』のそれは典型的な書き方ではありません。初版から引用します(用例は省略)。
ねこなで‐ごえ【猫撫声】〘名〙猫が人になでられる時に出すような、やさしく媚びを含んだ声音。自分になつかせようと、甘く、柔らかく言いかける語調。ねこなで。
――『日本国語大辞典』初版(第15巻、1975年)
まず「猫の声」式の語釈を示した後、「自分になつかせようと、甘く、柔らかく言いかける語調」と、「人の声」と取れる語釈を併記するという形になっているわけですが、後者のほうにはっきりと「猫をかわいがるときの」というようなことが書いてあるわけではないのです。だから、『日本国語大辞典』の意図としては、「猫の声」派なのかもしれません。
ところで、『日本国語大辞典』と『現代国語例解辞典』の語釈がよく似ていることにお気づきでしょうか。一部を抜き出して比べてみましょう。
猫が人になでられる時に出すような、やさしく媚びを含んだ声音。
――『日本国語大辞典』初版
猫が人に甘えるときに出すような、やさしくこびを含んだ人の声音。
――『現代国語例解辞典』初版
それもそのはず、『現代国語例解辞典』は『日本国語大辞典』から派生してできた辞書なのです。厳密に言うと、間にもう1冊『国語大辞典』という辞書がはさまっていたり、他にも派生した辞書があったりします。これら『日本国語大辞典』ファミリーを系統樹っぽく描いてみると、こんな感じになります(算用数字は版数)。
『小学館日本語新辞典』をどこから枝分かれさせるかには迷いました。同書の語釈は『現代国語例解辞典』と大部分が共通しているものの、編集そのものは『現代国語例解辞典』刊行以前から始動していたからです*2。ここでは、語釈を比べた上で、『現代国語例解辞典』第2版から分岐したと見ることにしました。今後、分子系統解析により正確な系統が明らかになるはずです。
さて、こんどは、上図にそれぞれの「猫なで声」の語釈を書き添え、「親」から変化した箇所を赤字にした図も作ってみました。『日本国語大辞典』を祖先とする辞書たちが「猫なで声」の語釈をどのように進化させてきたかがよくわかります。
『日本国語大辞典』初版の長い語釈は、まず『国語大辞典』で後半(「人の声」らしき部分)がバッサリ削られ、「猫の声」単独になりました。『現代国語例解辞典』は、若干の書き換えを行って、これを継承します。単に「声音」だったのを「人の声音」とするあたり、技ありといった感じです。
ところが第3版になって、メインの説が「人の声」になり、「猫の声」は「とも」と一段低く置かれます。先行する『岩波国語辞典』や『広辞苑』と歩調を合わせたかっこうです。
右下のほうに目を転じてみましょう。2005年に『小学館日本語新辞典』という辞書が出ています。この辞書は『現代国語例解辞典』第3版より後に出たはずですが、語釈は『現代国語例解辞典』の初版・第2版とほぼ同じ(なぜか再び「人の」が消滅)で、第3版での修正が反映されていません。おそらく、当初『現代国語例解辞典』から語釈を継承した『小学館日本語新辞典』が、ある時期から『現代国語例解辞典』とは独立して編集が進められることとなったのでしょう。結果として、『小学館日本語新辞典』は祖先の古い形態を保持するに至ったわけです。
図らずも国語辞書の系統に踏み込んだ話になってしまいました。要するに何が言いたいのかというと、「猫なで声」という語ひとつを辞書で引きまくってみただけでも、辞書によって違いがあり、またそれぞれの辞書が改訂のたびにあれこれと修正を重ねていることが見えるじゃありませんか、ということです。
で、結局、「猫なで声」はどっちの声なのか? そんなことはどうだってよろしい! 「猫の声」派も、「人の声」派も、仲睦まじく手を取り合って辞書を引こうではありませんか。
*1:神永曉(2017)『さらに悩ましい国語辞典―辞書編集者を惑わす日本語の不思議!―』時事通信社 pp.214-216。初出記事は以下でも読める。「猫なで声」って誰の声? : 日本語、どうでしょう? https://japanknowledge.com/articles/blognihongo/entry.html?entryid=346 2021年9月8日閲覧