四次元ことばブログ

辞書と言葉に関するあれこれを、思いつくままに書き記しておくことにしました。

「藪医者」の語源は地名の「養父」ではない

下手な医者のことを「藪医者(やぶいしゃ)」と言います。この「やぶ」が、但馬国(今の兵庫県北部)の地名「養父(やぶ)」に由来するという話(以下「養父説」)があります。

 

結論から言うと、これは誤りです。

 

江戸時代より前からいた「藪薬師」

 

「養父説」は、養父市役所のウェブサイトで大きく紹介されています。

 

www.city.yabu.hyogo.jp

 

概要を簡単にまとめると、以下のような話です。

 

(1)江戸時代但馬国養父に優秀な医者の一族(長島瑞得、長島的庵ら)がいた。
(2)養父の医者は名医だと知られるようになった。
(3)養父の医者を騙って信用を得ようとする技術の低い医者が続出した。
(4)「やぶ医者」が下手な医者を意味するようになった。

 

なぜこれが誤りだと断言できるかというと、下手な医者を意味する「藪薬師」の語が江戸時代よりはるか昔から文献に見られるからです。

 

医者のことを古くは「薬師(くすし)」と言い、「藪医者」も以前は「藪薬師」という形でした。この「藪薬師」の語は、南北朝時代末期から室町時代初期に成立した『庭訓往来』にすでに見られます。

 

日本国語大辞典』第2版では、さらに遡る『沙石集』(1283年)から例が引かれています。というわけで、「藪医者」が江戸時代の医師に由来するという話は全く根拠がありません。おわり。

 

なぜこんな記事を書くのかというと、ここ最近、「養父説」が続けざまにテレビで取り上げられているからです。

 

BSジャパン空から日本を見てみよう+』3月17日放送回では、「という説もある」と一言触れられる程度でしたが、NHKチコちゃんに叱られる!』5月11日放送回や、TBS『この差って何ですか?』5月22日放送回では、VTRつきで大々的に「養父説」が紹介されました。

 

いくら養父市が宣伝しているからといって、誤りは誤り。テレビの影響力は馬鹿にできませんので、ガセネタをばらまかないでいただきたいと思います。

 

本当の語源は何か

 

では、「藪医者」の本当の語源は何なのでしょうか。

 

「養父説」の典拠は江戸中期の有名な俳文集『風俗文選』に求められます。上記のサイトでも述べられているとおり、『風俗文選』では「いづれの御ン時にか。何がしの良医。但州養父といふ所に隠れて*1」とあるだけで、その名医がいつの誰かというところまでは明記されていません。

 

「養父」の地名は古くからありますし、鎌倉時代以前の養父に名医がいた可能性もゼロではありませんが、ちょっと無理があります。「世に藪医者と号するは。本名医の称にして。今いふ下手の上にはあらず*2」といいますが、「藪医者」「藪薬師」が名医の意で使われている例は見つけられそうにありません。『風俗文選』のエピソードは気の利いた小話ではありますが、「養父説」は民間語源にすぎないと考えるべきでしょう。

 

多くの語源辞典が採る最も有力な説は、「やぶ」は「野巫」、すなわち呪術を用いて治療をする田舎の医者のことだというものです。ただし、「野巫」の語は用例に乏しく、「正体については不明な点が多い*3」ようです。『日本国語大辞典』にも近世の例しかありません。

 

また、この説では「藪連歌」を説明できません。南北朝時代の『筑波問答』に例のある「藪連歌」は「稚拙な連歌」の意で、呪術を用いる医者とは関係がありません。そこで、国語学者岩淵悦太郎は「藪」がそのまま草深い「田舎」を意味しているのだという見解を示しています*4。田舎の医者、田舎の連歌だから、下手な医者、稚拙な連歌を意味するようになったというわけです。このあたりが妥当な線であるようにも思われます。

 

「養父説」に比べると平凡でつまらない結論かもしれませんが、語源というのは得てしてそういうものです。第一、はっきりと語源を特定できる場合もほとんどありません。テレビで愉快な語源説が紹介されても、あまり真に受けないようにするのがよかろうと思います。

 

まとめ

・「藪医者」のもとになった「藪薬師」は南北朝室町時代から例があることばで、江戸時代の養父にいた医師が由来だという説は誤りである。
・呪術を用いる田舎の医者「野巫(やぶ)」が「藪医者」の語源だとする説が有力だが、「野巫」は用例に乏しく、「藪連歌」との関係も説明しづらい。
・「藪医者」の「藪」は、文字通り草深い田舎を指したものではないかとも考えられる。

*1:森川許六編、伊藤松宇校(1928)『風俗文選』(岩波文庫岩波書店 p.83

*2:同前

*3:山口佳紀編(2008)『暮らしのことば新語源辞典講談社

*4:岩淵悦太郎(1974)『語源散策毎日新聞社 pp.170-172