四次元ことばブログ

辞書と言葉に関するあれこれを、思いつくままに書き記しておくことにしました。

「右」は国語辞書でどう説明されてきたか(2)大正~戦前の辞書

前回のエントリで、明治時代の辞書が「右」をどう説明してきたか見てきました。

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方角を用いた説明方法を採用した辞書が多数を占めていましたね。本稿から大正時代の辞書に突入しますが、結論を先に言ってしまうと、やはり方角方式がほとんどです。余計な説明はなるべく省いて、どんどん見ていくことにします。

 

『日本大辞書』を編んだ山田美妙は、晩年『大辞典』を編纂し、完成を見ずに亡くなります。この辞書の「右」は、正確性を期したのか何なのか、持って回った言い方です。

 

みぎ (右)[根] 人ガ東ニ向カツタ位置デ、ソノ南ニ寄ル部分デアルコト。ひだりノ対。
――『大辞典』(1912)

 

おっと、『大辞典』は1912年5月の刊行なので、まだ明治時代でした。改元は7月ですね。

 

今度こそ本当に大正は3年、郁文舎が刊行した『辞海』は『辞林』の引き写しが指摘されており、「右」の語釈もよく似ています。もっとも、『言海』以来の他の辞書とも似ていますが。

 

みぎ【右】名(一)南へ 向ひて 西の方。みぎり。
――『辞海』(1914)

 

国語漢文ことばの林』は意図的に『辞林』の語釈と同一になることを避けたと思われる表現が多く見られる辞書ですが、「右」に関しては右へ倣えです。

 

みぎ(右)[名]人の東に面(ムカ)つて南にあたる方
――『国語漢文ことばの林』(1916)

 

さて、続いて引くのは、日本で初めての大型辞書と称すべき金字塔『大日本国語辞典』です。

 

みぎ 右 (名) [一]人の、朝、日の出づる方に面して立てる時、其の南の方。みぎり。(左の対)
――『大日本国語辞典』(1915~19)

 

「夜になったら右左がわからなくなるのかね」と軽口を叩きたくなるような語釈ですが、「東」を「日の出づる方」と表現したことに工夫がみられます。もっとも、方角を日の出入りで表すのは、すでに『ことばのその』が行っていたことは前回見たとおりです。

 

大正末年から昭和のはじめにかけ、全6巻の大部の辞書『言泉』が刊行されます。これは落合直文の『ことばの泉』を芳賀矢一が増補したもの。『言泉』の「右」はこちら。

 

みぎ 右【名】[一]左の正反対。みぎり。右方(ウハウ)。
――『言泉』(1921~29)

 

おい、どうした。『ことばの泉』では、方角を使った説明だったはずです。「左」はどうなっているでしょうか。

 

ひだり 左【名】[一]右と反対なる方向。左方(サハウ)。
――『言泉』(1921~29)

 

見事な堂々巡りです。芳賀矢一は序文で

 

辞書のやうな骨の折れた著述は成るべく原著者の名を何時までも保存して、さうしてだんだんに後の人が増補し、完成して行くが至当である。〔中略〕落合氏の言泉は何時までも落合氏の言泉であらねばならぬ。〔中略〕原書の体裁方針等はなるべく失はぬやうに務めたのである。

 

と述べていますが、「右」「左」を堂々巡りの語釈に書き換えたのは、落合直文の意に沿うものだったのでしょうか。皮肉なことに、『言泉』はこの後改訂されることなく、辞書史から姿を消してしまいます。

 

さて、『言泉』刊行のさなかの大正14年、三省堂が『辞林』を改訂し『広辞林』に改めています。「右」の語釈は『辞林』から変化はありません。

 

みぎ[右](名)[一]人の南へ向かひて西の方。
――『広辞林』(1925)

 

3年後の昭和3年、『広辞林』を袖珍版に編集した『小辞林』が刊行されます。見出し語を大きく削らなかった分、語釈がぐっと短く編集されています。ただ、「右」はもともと語釈が簡潔なこともあって、やはり全く手が加えられていません。

 

みぎ[右](名)[一]人の南へ向かひて西の方。
――『小辞林』(1928)

 

すでに『言海』から60年以上経っています。それでもほとんど「右」の語釈が変化していないのは、よほど方角による説明が完璧なのか、それとも思考停止か――。

 

その『言海』を編んだ大槻文彦は、『言海』改訂に全力を注いでいましたが、昭和3年に命を落とします。『言海』の改訂版は大槻の死後も大久保初雄らによる編纂が続けられ、昭和7年に『言海』として刊行されました。

 

み-ぎ(名)|右|〔持切ノ約略、力強ク持ツニ堪フ意〕(一)人ノ身ノ、南ヘ向ヒテ西ノ方。左ノ反。ミギリ。
――『大言海』(1932~35)

 

語釈の本文は『言海』と全く変わっていませんが、語源説が加わったのが興味深いところです。「右」は「持ち切り」が約まったものだと書いていますが、『大言海』の語源説は信用ならないものが多いので、ここではあまり参考になりません。

 

昭和9年、本文25巻に索引1巻、約70万語*1を収録するという化け物のような辞書『大辞典』が平凡社から刊行されます。この収録語数は国語辞書としては今日の辞書まで含めても史上最多ですが、全体の作りは拙速との評価もあります。

 

ミギ 右 (一)人の身の、朝日の出る方に向つて立つ時、その南の方。みぎり。左の対。

――『大辞典』(1912)

 

言海』と『大日本国語辞典』を継ぎ接ぎしたような語釈ですね。この印象はあながち外れてもいないと思います。

 

昭和10年の『辞苑』は、今日では国民的辞書に成長した『広辞苑』の直接の先祖にあたる辞書です。編者として名の知れた新村出は、実際は名義貸しで、実著者は溝江八男太でした。『辞苑』は全編にわたり『広辞林』を引き写しているというのが通論ですが、「右」については勝手が違うようで、

 

みぎ[右](名)(一)左の正反対。みぎり。
――『辞苑』(1935)

 

となっています。『言泉』と同じ堂々巡りでしょうか。「左」も引いてみます。

 

ひだり[左](名)(一)人が北を向いて西にあたる方。左方。(右の対)
――『辞苑』(1935)

 

げげ、堂々巡りでないのは結構なことですが、こちらは『広辞林』方式じゃありませんか。『広辞林』の「左」とは、向いている方角が違いますが、構造は同じです。

 

ひだり[左](名)[一]南へ向きて東に当たる方。左方。右の対。
――『広辞林』(1925)

 

『辞苑』は大部分において『広辞林』を引き写していますが、ほかに『言泉』『大日本国語辞典』も親辞書と目されています*2。この場合、「右」は『言泉』から、「左」は『広辞林』から拝借したのかしらんと邪推したくなります。

 

この短文では、偶然に似たとしてもおかしくありません。しかし、「右」「左」は多義語ですから、(二)以下の語義もございます。3冊の「右」「左」の全文をそれぞれ書き抜いてみましょう。『言泉』は古典の例などを引きますが、これはやたら長いので、出典のみ書いて省略します。見やすいよう、共通している部分を着色しました。赤が『言泉』と『辞苑』の共通部分、緑が『広辞林』と『辞苑』の共通部分、青がすべてに共通する部分です*3

 

みぎ 右【名】[一]左の正反対みぎり。右方(ウハウ)。[二]〔蓬窓日録にある語源説・略〕二つ相並びたる内の優る方。〔盛衰記の例・略〕[三]文書にて前行に書ける語句を指していふ語。前条。前項。前件。「右の者、今般何何致候処」「取敢へず右御知らせ申上候」[四]うだいじん右大臣*4の略。(左に対して)〔源氏の例・略〕[語]みぎて(右手)[一]の略。
――『言泉』(1921~29)

みぎ[右](名)[一]人の南へ向かひて西の方。[二]在来の書方なる文書にて、前に述べたる事柄。前条。[三]二つのものを比較して勝れたる方。[四]歌合にて二首の歌を判ずる時前のものを左と称するに対して後のもの。
――『広辞林』(1925)

みぎ[右](名)(一)左の正反対みぎり。(二)二つのものを比較して勝れた方。(三)文書で前行に書いてある語句を指していふ前条。(四)歌合せで二首の歌を並べて判ずる時前の歌を左といふに対して後のを右といふ。(五)うだいじん右大臣)。
――『辞苑』(1935)

 

ひだり 左【名】[一]右と反対なる方向。左方(サハウ)。[二]左の手。ひだりて。左手(サシユ)。〔狂言(算勘聟)の例・略〕[三]左大臣、又、左近衛府左兵衛府左衛門府などすべて左右に分れたる官職の左の方。〔源氏および十訓の例・略〕[四]ひだりまへ(左前)[二]の略。〔柳樽の例・略〕[五]『鑿は左の手に持つものなるによりて、のみて(飲手)を、のみて(鑿手)の義に取りなしていふ』酒を飲むこと、又その量。〔浮世親仁形気および和合人の例・略〕
――『言泉』(1921~29)

ひだり[左](名)[一]南へ向きて東に当たる方左方右の対。[二]左方の手。[三]酒を飲むこと。「―が利く」。
――『広辞林』(1925)

ひだり[左](名)(一)人が北を向いて西にあたる方左方。(右の対)(二)左方の手。(三)左大臣左近衛府左兵衛府すべて左右に別れた官職の左の方。(四)酒を飲むこと。(五)左傾すること。
――『辞苑』(1935)

 

どうでしょうか。やはりどうも切り貼りして多少語句をいじって書いたように思えます。『辞苑』の「右」(四)なぞ、置き換え式の語釈の中、突如として説明式で書かれており、体裁が乱れています。

 

最後に『明解国語辞典』を引いて、続きはまた今度としましょう。『明解国語辞典』は『小辞林』を現代語訳するところから企画が始まりましたが、編者・見坊豪紀の努力で、全く新しい辞書になりました。「右」の語釈も、方角を用いているのは同じですが、『小辞林』とは表現が変わっています。なお、「(0)」はアクセントが平板であることを表しています。

 

みぎ(0)[右](名)(一)人が日の出る方へ向かって、南の方。
――『明解国語辞典』(1943)

 

明治時代から戦中まで、方角を用いた代わり映えしない「右」の語釈。今の我々にも馴染みの深い小型辞書が百花繚乱と咲き競う戦後、「右」はどう進化を遂げるのか。また次回。

 

次回

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*1:大部分は百科語ですが

*2:石山茂利夫(2004)『国語辞書事件簿』草思社

*3:単に用字が異なるもの、文語体が口語体になっているものも同一とみなしました

*4:ママ