四次元ことばブログ

辞書と言葉に関するあれこれを、思いつくままに書き記しておくことにしました。

「びびる」の嘘語源を正す 「平安時代から」はガセ

 

今回は長文になりますので、最初に概要をまとめてしまいます。

 

・「びびる」の語源として広まっている平安時代からあることばで、戦で鎧が触れ合う音に由来する」という説は誤りであると考えられる。「びびる」の用例が確認できるのは江戸時代から。
・この説は平成に入ってから突然現れたもので、どうやら1988年に出た本の誤読から生まれたようだ。
・「びびる」がオノマトペに由来しているという点はおそらく正しい。

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ネットで「びびる」の語源について調べてみると、以下のような説がもっともらしく記されています。

 

「びびる」は平安時代末期からあることばである。むかし、大軍の鎧が触れ合う「びんびん」という音を「びびる音」といった。源平の合戦における富士川の戦いでは、水鳥の飛び立つ音を聞いた平家軍が、これを源氏軍が攻めてくる「びびる音」だと勘違いし、びびって逃げ出したというエピソードがある。

 

あちこちに同じような記述があるため、信憑性があるように錯覚してしまいますが、この説には学問的な裏付けがまったくありません。要は、嘘語源なのです。

 

どうしてこの説が誤りだと言えるのか、根拠をひとつずつ挙げていきます。

 

根拠1 平安時代に「びびる」の用例がない

 

そもそも、平安時代に「びびる」ということばがあったことが確認できません。これが最大の理由です。

 

文献にある最古の例を示す方針をとっている大型国語辞書『日本国語大辞典』第2版にある「びびる」の初出例は1680年の『続無名抄』のもので、江戸時代です。また、東京大学史料編纂所のデータベースなどからも例を見出すことはできません。

 

平安時代から『びびる』があった」という言説はかなり怪しいということができます。

 

根拠2 「びびる」が鎧の触れ合う音を表す例がない

 

「びびる」はもともと鎧の触れ合う音をいうといいますが、そのような意味で「びびる」が使われている例は見つけられませんでした。辞書にもありません。

 

ただし、上方の方言では音が振動するのを「びびる」といい、「鐘の音がびびってる」のように使います*1。鎧が触れ合い音を立てれば「鎧がびびる」とも言えるのでしょうが、「もともと鎧が触れ合う音をいった」とただちに言うことはできません

 

根拠3 語源辞典はこの説に全く触れていない

 

具体的な記述については後述しますが、「びびる」が平安時代からあり、鎧の触れ合う音に由来するという説は、研究者が執筆・監修している語源辞典や古語辞典では一切採り上げられていません。学問的な根拠がないことの証左です。

 

根拠4 『平家物語』などに「びびる」は出てこない

 

平家物語』には富士川の戦いについて書かれた章があり、話の筋も「びびる」の語源を説明したネット上の多くの文章とおおむね同じです。平家軍が富士川に陣を敷いていたところ、沼にいた水鳥がいっせいに飛び立ち、「一度にばッと立ちける羽音の、大風いかづちなンどの様にきこえ*2」ました。兵士たちは源氏の大軍が押し寄せてきたと勘違いし、逃げ出してしまったといいます。

 

しかし、ここには「びびる」の語は出てこないようです*3。また、『吾妻鏡』にも富士川の戦いについて述べたくだりがありますが、やはり「びびる」の語は見えません。

 

第一、平家物語』や『吾妻鏡』は鎌倉時代の成立ですから、もし「びびる」の例があったとしても「平安時代から使われていた」ということにはなりません

 

同時代の資料としては、平安末期の公卿である中山忠親が著した『山槐記』が富士川の戦いについて書いていますが、当然のごとく「びびる」は出てきません

 

ただし、「びびる」の語源についての記述をよく読むと、「平家は水鳥の羽音を『びびる音』だと勘違いした」「平家はびびって逃げてしまった」と書くだけのものが多く、『平家物語』などの文献に「びびる」の語が出てくると言っているわけではありません。なぜ富士川の戦いと「びびる」が結び付けられているかという点はさておき、少なくとも「平家がびびって逃げた」という点において(『平家物語』などの記述によれば)誤りはありません。

 

根拠5 この説は平成に入ってから突然生まれた

 

以上に挙げた根拠から、「びびる」が平安時代からあり、鎧の触れ合う音に由来するという説は相当疑わしいというのはおわかりいただけたかと思いますが、それでもかなり広まっている説です。絶対、100%、命をかけて嘘語源だと断言できるかというと、難しいかもしれません。

 

しかし、この説が平成の時代に入ってから突然生まれたもので、しかも資料の誤読が原因だったとなればどうでしょうか。そのことを強く推察させる証拠を見つけましたので、次章で詳細に述べたいと思います。

 

「びびる」嘘語源説の発祥をさぐる

 

はびこる「びびる」嘘語源説

 

私がこの「びびる」の語源説を知ったのは、『週刊現代』の以下の記述からでした。

 

 昔からあると言われて一番意外なのは「ビビる」かもしれない。「ビビる」という言葉が使われ始めたのはなんと、平安時代まで遡る。
 戦の際、鎧が触れ合うと「ビンビン」という音が起きた。これを指して、大軍が動いたときの音を「びびる音」と呼んだのが起源になった。源氏と平氏が戦った「富士川の戦い」で、鳥が一斉に飛び立つ音を平氏側が「源氏軍がびびった音だ」と勝手に勘違いし、ビビって逃げたという有名な逸話もある。
――『週刊現代』2017年7月8日号 p.73

 

この記事は「現代ビジネス」にも掲載されています。

江戸時代から「マジ・ヤバい」はふつうに使われていた(週刊現代) | 現代ビジネス | 講談社

 

初耳でしたが、ちょっとGoogleで検索してみるだけで、「『びびる』は平安時代からある」という話が無数に見つかります。想像以上に広まっているようでした。

 

TBSで放送されたクイズ番組『東大王2016』では、優勝者を決めた最後の問題でこの説が採り上げられていたこともわかりました。もちろん「びびる」が正答とされています。

 

平安時代に大軍が移動するときに鎧が触れ合う音が「びんびん」と聞こえたことに由来する言葉は何?
――TBS『日本の頭脳No.1決定戦 東大王2016』2016年10月19日放送 

 

さらには、子供向けの読み物にも。

 

気後れする、怖気づくという意味をもつ「ビビる」は平安時代末期からすでに使われていました。平安時代に起きた源平合戦で、水鳥の大群が飛び立つ音を、源氏の大群が攻めてきた音だと勘違いして逃げた平氏の話がモデルになったと考えられています。この戦は「富士川の合戦」として歴史に残っています。
――ことば学習研究会(2011)『語源まるわかり事典~「言葉」のなぜ?どうして?がわかる本~』メイツ出版 p.54

 

新聞では、校閲者までもがこの説を信用していました。

 

さて、『びびる』です。これも若者言葉だと思っている人が多いかもしれません。ところが、江戸時代の川柳に「あいさつに男のびびる嫁の礼」とあります。新しいお嫁さんにちょっと気後れした、新郎の姿ですね。辞書によると平安時代からあるそうです。
――「〈なるほど!道新 校閲の赤えんぴつ〉悪い印象 損する『びびる』」北海道新聞2008年10月4日夕刊4面

 

「辞書によると平安時代からある」とありますが、後述するように、この説を扱う辞書は一切見つからないのです。どういうことでしょうか。

 

事態はかなり深刻です。

 

ネット上での初出は「語源由来辞典」

 

この説がネット上に蔓延するきっかけとなったサイトは、「語源由来辞典」で間違いないと思われます。

 

同サイトにはこのようにあります。

 

びびるは現代語のように思われがちだが、平安時代末期には既に使われていた。
びびるの語源は、大軍が動くときの鎧の触れ合う音が「びんびん」と響くことから、この音を「びびる音」と言ったことによる。
平家が現在の静岡県富士川のあたりに陣を敷いた時、小鳥がいっせいに飛び立つ音を源氏軍が大挙して攻め込んでくる「びびる音」と勘違いし、平家軍はビビッて戦わずに逃げたという「富士川の戦い」は、歴史に名高い戦いとなっている。
江戸時代には、「はにかむ」という意味でもびびるは使われ、1765~1838年刊の川柳句集『誹風柳多留(柳樽)』には、「あいさつに男のびびる娵(よめ)の礼」の句がある。
――ビビる - 語源由来辞典 2018年6月4日閲覧

 

Internet Archiveによると、上記の「びびる」の語源説は遅くとも2005年には公開されていたことがわかります。Google検索では、2005年以前に同様の説に触れたサイトは見つけられませんので、これ以降の「びびる」嘘語源説は多かれ少なかれこの「語源由来辞典」の影響下にあるものと考えられます。

 

「語源由来辞典」が参照した書籍があった

 

この説を「語源由来辞典」が創作したとは考えにくく、語源について書いた書籍を確認していったところ、「語源由来辞典」が直接参考にしたと思しき書籍にたどり着きました。2000年に新講社から出た『日本語おもしろ雑学練習帳【語源編】』です。クイズという体をとっており、ちょっと長いのですが、引用します。

 

日本語おもしろ雑学練習帳 語源篇

日本語おもしろ雑学練習帳 語源篇

 

 

問題 怖がって尻込みしている状態を「びびる」と言い、「何、びびってるんだ」などと使う。さて、この言葉はいったい何語なのか。次の三つの中から選べ。

 

①英語。vivid(記憶などがはっきりとした)が元になっている。「ビビッドじゃない」から転じた言葉
②古語。大軍が動くとき鎧の触れ合う音が「びんびん」と響くことから
③現代語。感電して、手が「ビリビリッ」ときて怖かったという擬態語が元になって、若者が「びびる」「びびっちゃう」などと言うようになった

 

 「びびっちゃう」などと軽く使うから現代語と錯覚してしまうが、すでに平安時代の末期には使われていた言葉。答えは②だ。
 鎧が触れ合う音が「びびる」。奢る平家が打倒頼朝を期して、現在の静岡県富士川のあたりに陣を敷いたとき、水鳥がいっせいに飛び立った。この音を源氏軍が大挙して攻め込んでくる「びびる」音と勘違いし、平家軍は戦わずして逃げてしまった。これが歴史に名高い「富士川の戦い」。平家は源氏の影にびびってしまったわけだ。
 江戸時代には、「はにかむ」という意味でも使われ、川柳集『柳樽』の中に、「あいさつに男のびびる娵の礼」の句がある。
――日本雑学能力協会(2000)『日本語おもしろ雑学練習帳【語源編】』新講社 p.18

 

「大軍が動くとき鎧の触れ合う音が『びんびん』と響くことから」「現在の静岡県富士川のあたりに陣を敷いたとき」「源氏軍が大挙して攻め込んでくる『びびる』音と勘違いし」「歴史に名高い」「江戸時代には、『はにかむ』という意味でも」など、かなりの文言が共通しています。「語源由来辞典」は本書を引き写したものとみて間違いないでしょう。

 

この本は2009年に『知ってるようで知らない語源クイズ』と改題されますが、やはり同様の記述が残っています。また、ネット上には上記のクイズを丸写ししたページも複数あり、影響力の強さがうかがえます。

 

さらなる元凶をさぐる

 

「びびる」嘘語源説を扱ったのは、『日本語おもしろ雑学練習帳【語源編】』が最初ではありません。1995年に出た日本語倶楽部『日本語の謎にズバリ!答える本』が、「びびる」が平安時代からあったとする書籍の中では現在確認できている最も古いものです*4

 

日本語の謎にズバリ!答える本 (KAWADE夢文庫)

日本語の謎にズバリ!答える本 (KAWADE夢文庫)

 

 

 実は、この言葉の語源は非常に古く、源平の合戦の時代にはすでにあったものである。「びびる」というのは、もともと、鎧の触れ合う音や、軍隊が進んでいくときの轟音が聞こえてくることをいった。まさに、びりびりと大地が振動するといった感じをあらわしたのだろう。
 源平の合戦のとき、平家の武士が富士川のそばで陣を組んでいたところ、水鳥がいっせいに飛び立った。それを平家の軍は、敵軍の襲撃とカン違いして、とるものもとりあえず逃げ去ってしまったという話がある。平家軍は、羽音を軍隊の移動する「びびる」音とカン違いして、本当にびびってしまったのだ。
 この「びびる」には、しりごみするという意味のほかに、はにかむ、はじらうといった意味もある。江戸時代の川柳を集めた『柳樽』という本に、「あいさつに男のびびる娵の礼」とあるのは、新妻がきちんと礼をしたので、新郎がはにかんでいるといった様子を映したものだろう。
――日本語倶楽部(1995)『日本語の謎にズバリ!答える本』河出書房新社 pp.25-26

 

・「びびる」は源平の合戦の時代にはあった
・鎧の触れ合う音を「びびる」と言った
富士川の戦いでは、平家がびびって逃げた
・「びびる」は江戸時代の川柳にも見られる

 

という、後年「びびる」の語源を語る際に決まって触れられる要素が、このときすでに完成しています。ただし、「平安時代末期」という文言がなかったり、「鎧が触れ合う音が『びんびん』といった」のではなく「びりびりと大地が振動するといった感じ」であったりと、細部はやや異なっています。完全な丸写をしないよう後の執筆者が気を配った結果か、語句が変わっていったのでしょう。

 

変質という点でいえば、この本や「語源由来辞典」では富士川の戦いでの出来事がちょっとした挿話として触れられているだけなのに対し、先に挙げた子供向けの『語源まるわかり事典』では「モデルになった」と一段高く扱われています。この変質はすでに2005年の『図解 日本語語源の暗号』(宝島社)に現れています。

 

閑話休題。『日本語の謎にズバリ!答える本』の著者である「日本語倶楽部」なる団体は、これ以前にも語源に関する読み物を何冊か出していますが、「びびる」の語源を扱ったのはこれが初めてでした。

 

では、いったいなぜこのような言説が突然現れたのでしょうか。ことばに関する一般向けの本をさかのぼっていくと、どうやらこれを誤読したのではないかという記述に行き当たりました。

 

慶應義塾大学の教授だった井口樹生の1988年の著書に、以下のような一節があります。

 

 

 〝富士川の戦い〟といえば、源平合戦の緒戦で、平維盛が水鳥の羽音を源氏の軍勢とまちがえて、今風にいえば〝びびって〟逃げ出したことで有名だ。いくら公卿化していたとはいえ、武士ともあろうものが、鳥に驚いて退散したのだから、維盛は末代にまで汚名をさらすことになった。
 しかし、維盛を多少、弁護すると、昔は鐘などの大きな音が震動して聞こえてくることを「びびる」といったから、例の鳥の羽音も人を〝びびらせる〟ほどの大きな音だったのかもしれない。この戦いに敗れた平家は、以後坂道をころがるように滅亡したのだから、歴史的にも〝大きな羽音〟だった。
――井口樹生(1988)『知ってるようで知らない日本語5 身近な言葉の意外な意味――動詞・形容詞編』ごま書房 p.10

 

「びびる」と源平の合戦を結びつけてはいますが、「びびる」の語源を説明しているわけでもなく、この文章の中には誤りらしき誤りはありません。平家軍が「びびって」逃げ出したことには「今風にいえば」という注があり、源平の合戦の時代に「びびる」があったなどとは一言も書かれていません。「昔は鐘などの大きな音が震動して聞こえてくることを『びびる』といった」というのも、「昔」がいつなのかはさておき、辞書にある意味です。

 

ところが、この記述を目にした後の執筆者が、「『びびる』は源平の合戦のころからあることばだった」と誤読したか曲解したか、とにかく誤って受け取ってしまったものと思われます。「鐘などの大きな音」についても、「鎧の触れ合う音や、進軍の際の轟音も含まれるだろう」と考えたのでしょう。こうして、「『びびる』は源平の合戦の時代にはあった」「鎧の触れ合う音を『びびる』と言った」「富士川の戦いでは、平家がびびって逃げた」というストーリーが出来上がってしまったのではないでしょうか。

 

「びびる」嘘語源説と合わせてよく出てくる江戸時代の川柳は、おそらく『広辞苑』か『大辞林』の用例を引っぱってきたものでしょう。『広辞苑』は1983年の第3版から、『大辞林』は1988年の初版から「びびる」を立項し、どちらも『誹風柳多留』の「あいさつに男のびびる娵の礼」の例を載せています。もちろん、これは正しい記述です。

 

本当の語源は何か

 

では、「びびる」の本当の語源は何なのでしょうか。辞書の記述を確かめてみることにします。

 

①大小便をちびっと漏らす。ちびる。「ビビッた」②けちけちする。出し渋る。(明治十九年・東京京阪言語違)「ビビッてるな」③迷う。困惑する。「なんでビビルねん」④音が震動する。京都語。「鐘の音がビビッてる」〔語源〕①のビビは、大便を漏らす時の擬音語。転じて尿にもいう。②③は、その転義。④のビビは、震動音を表わす擬容語。
――前田勇(1965)『上方語源辞典』東京堂出版

 

上方方言から出たことば。恥ずかしがって小さくなる。気おくれしてちぢこまるが原意。ヒビレ〈罅〉のビ、あるいはヒビク〈響〉のビを活用したものと思う。
――村石利夫(1981)『日本語源辞典』日本文芸社

 

ビビは擬声語。京都では「鐘の音がビビル(振動する)」ともいう。
――堀井令以知(1999)『上方ことば語源辞典』東京堂出版

 

「びび」は擬態・擬声を表す。
――中村幸彦、岡見正雄、阪倉篤義編(1999)『角川古語大辞典』角川書店

 

「びくびくする」意か。
――西垣幸夫(2005)『日本語の語源辞典』文芸社

 

語源は、「ビクビクスル」の簡約語です。
――増井金典(2012)『日本語源広辞典[増補版]』ミネルヴァ書房

 

諸説入り乱れていますが、村石(1981)を除いてはどれもオノマトペが由来だとしています(「響く」などもオノマトペ由来である可能性があります)。鎧の触れ合う音ではありませんが、「びくびく」や「びりびり」「びんびん」などと根は同じなのでしょう。『三省堂国語辞典』が、第5版まで「びりびりという音を出す」という語義を挙げていたことにも目が行きます。

 

「びびる」の語誌をたどってみましょう。現代語としては、全国的には「尻込みする」という意味か、語頭音にひかれて「びっくりする」という意味で使われています*5もともと上方の方言であったものが、1970~80年代に若者を中心に広まったものと考えられます。

 

1952年の『週刊朝日』では、「びびる」はまだ大阪の学生語であると扱われていましたが*6、『三省堂国語辞典』が1974年の第2版から「びびる」を見出し語として採用します。また、渡辺友左(1981)『隠語の世界』には、「上方語の『びびる』が東京の若者たちの間に広まったもの*7」という説明もあります。『現代用語の基礎知識』では、1980年版に「びびる」が「おじけづく」の意で載っています。

 

上方方言としては、いろいろな意味で使われてきました。各種の方言辞典の語釈をまとめると、以下のような意味に細分化できそうです。

 

・尻込みする。気後れする。
・けちけちする。
・音がふるえる。
・小さく振動する。
・大小便をもらす。

 

「けちけちする」という意味が、お金を出すのに尻込みすることからきているとすれば、どれも「ふるえる」という要素が共通しています。やはり、「びびる」は物のふるえるさまを表すオノマトペに由来していると考えてよいでしょう。

 

なお、機械工作の分野でも、物が振動することを「びびり」といいます*8

 

その他の説


それほど広まってはいませんが、動物の鳴き声を表す「ひひ」が由来だとする説もあります*9。「ひひ」は他に笛の音や矢などが早く動く音も表し、発想としては物が震える音と近いのでしょうが、「ひひ」から「びびる」になったというのは疑わしく思われます。

 

さいごに

 

この嘘語源説が厄介なのは、部分的には正しいところにあります。「富士川の戦い」のエピソードは有名ですし、鎧かどうかはともかく音が響くことを「びびる」といったのも事実です。江戸時代には用いられていたというのも確実で、ここに「平安時代からあった」というフェイクが加わると、簡単に否定するのは難しくなります。

 

今回は幸いネタ元と思しき書籍にたどり着くことができました。もともとは誤りのなかった記述が伝言ゲームのようにして嘘語源説へと変容し、すっかり事実であるかのように広まった経緯が明らかになったのではないかと思います。

 

一般に、ある語の語源を特定することは困難で、語源説も複数あるのが当たり前です。そのためもあって、ともすると誰かが根拠もなく言い出した嘘語源説がさも真っ当なものであるかのような顔をして「諸説」の一つに居座ってしまうことがあります。看過できないことです。本稿が、「びびる」嘘語源説の蔓延を食い止める一助となることを祈ります。

 

本稿で挙げたもののほかに「びびる」嘘語源説を扱った文献、特に1995年の『日本語の謎にズバリ!答える本』以前のものをご存じの方がおいででしたら、ご教示いただけますと幸いです。

 

調査した主な文献

 

本文・脚注で触れたものは省きました。

 

・「びびる」の項目がある辞書類
J.C.ヘボン(1867)『和英語林集成』American Presbyterian Mission Press
井上史雄、鑓水兼貴編著(2002)『辞典〈新しい日本語〉』東洋書林
井之口有一堀井令以知編(1979)『分類京都語辞典』東京堂出版
井之口有一堀井令以知編(1992)『京ことば辞典』東京堂出版
潁原退蔵著、尾形仂編(2008)『江戸時代語辞典』角川学芸出版
尚学図書編(1989)『日本方言大辞典』小学館
中田祝夫、和田利政、北原保雄編(1983)『古語大辞典』小学館
方言資料研究会編(1982)『北から南 方言ものしり事典』啓明書房
堀井令以知(1995)『大阪ことば辞典』東京堂出版
前田勇編(1974)『江戸語大辞典』講談社
牧村史陽(1979)『大阪ことば事典』講談社
牧村史陽編(1955)『大阪方言辞典』杉本書店
増井金典(2018)『関西ことば辞典』ミネルヴァ書房
米川明彦(2003)『日本俗語大辞典』東京堂出版

 

・その他
(☆印は「びびる」を扱っているもの、★印は特に嘘語源説を採用しているもの)
飯野睦毅(2006)『五十音順 日本語語源解読辞典』東陽出版
井口樹生(1987)『日本語の履歴書 間違えやすいことばの語源と使い方』講談社
池田弥三郎編(1982)『現代人のための日本語の常識大百科』講談社
板坂元(1992)『語源と謎解き 日本語をさぐる!』同文書院
板坂元(1993)『語源の日本史探検』同文書院
稲垣史生(1974)『江戸ものしり475の考証』ロングセラーズ
稲垣吉彦(1985)『ことばの四季報中央公論社
岩淵悦太郎(1975)『語源のたのしみ1』毎日新聞社
岩淵悦太郎(1976)『語源散策』毎日新聞社
岩淵悦太郎(1976)『語源のたのしみ2』毎日新聞社
岩淵悦太郎(1976)『語源のたのしみ3』毎日新聞社
岩淵悦太郎(1977)『語源のたのしみ4』毎日新聞社
岩淵悦太郎(1977)『語源のたのしみ5』毎日新聞社
大野晋(1974)『日本語をさかのぼる』岩波書店
興津要(1986)『語源 なるほどそうだったのか!』日本実業出版社
興津要(1989)『おもしろ雑学日本語』三笠書房
小野正弘編(2007)『擬音語・擬態語4500 日本語オノマトペ辞典』小学館
学研辞典編集部編(2014)『日本語語源辞典 第2版』学研教育出版
北嶋廣敏(1995)『語源の辞典』日本実業出版社
☆木村恭三(1983)『京ことばの生活』教育出版センター
金田一京助(1976)『日本語の変遷』講談社
金田一春彦(1992)『ことばの歳時記』新潮社
金田一春彦芳賀綏編(1986)『古典おもしろ語典』大和出版*10
小池章太郎(1985)『芸能語源散策』東京書籍
小松寿雄鈴木英夫編(2011)『新明解語源辞典』三省堂
佐伯誠一(1992)『おもしろ日本語ものしり事典』日本文芸社
榊原昭二(1984)『現代世相語辞典』柏書房
阪下圭八(1995)『ことばの散歩道 古事記からサラダ記念日まで』朝日新聞社
真田信治監修(2018)『関西弁事典』ひつじ書房
真田信治、友定賢治編(2007)『地方別方言語源辞典』東京堂出版
塩田丸男(1978)『辞書にでていない言葉の雑学事典』毎日新聞社
辞書にないことば研究会編(1984)『辞書にないことば面白読本』主婦と生活社
辞書にないことば研究会編(1985)『続辞書にないことば面白読本』主婦と生活社
上代語辞典編修委員会編(1967)『時代別国語大辞典 上代編』三省堂
新村出(1978)『語源をさぐる』教育出版
杉本つとむ(1983)『語源の文化誌』創拓社
杉本つとむ(1983)『現代語語源小辞典』開拓社
杉本つとむ(2005)『語源海』東京書籍
杉本つとむ(2006)『気になる日本語の気になる語源 』東京書籍
鈴木棠三(1990)『語源散策・相合い傘』創拓社
武光誠(1994)『歴史を探ると日本語がわかる 言葉のルーツ物語』雄鶏社
武光誠(1998)『歴史から生まれた日常語の由来辞典』東京堂出版
武光誠(2014)『語源に隠された日本史』河出書房新社
茅野秀三(1994)『ワードウォッチング 言葉のうんちく辞典 』実務教育出版
★坪内忠太(2010)『日本語おもしろい』新講社
出口宗和(1996)『考えだすと夜も眠れぬ素朴な大疑問①〈日本語の謎〉』二見書房
★東西社編集部編(2015)『今日から役に立つ! 常識の「国語力」2600』東西社 p.342
☆中田昌秀(1978)『笑解現代楽屋ことば』湯川書房*11
西谷裕子著、米川明彦監修(2009)『身近なことばの語源辞典』小学館
日本語倶楽部(1990)『語源面白すぎる雑学知識』青春出版社
日本語倶楽部(1991)『語源面白すぎる雑学知識 Part②』青春出版社
日本語倶楽部(1991)『語源面白すぎる雑学知識 Part③』青春出版社
日本語倶楽部(1993)『【語源】の謎にこだわる本』雄鶏社
日本語倶楽部(1993)『語源面白すぎる雑学知識 Part④』青春出版社
日本語倶楽部(1994)『語源の謎クイズ』河出書房新社
日本語倶楽部(2002)『この言葉の語源を言えますか?』河出書房新社
日本語の謎研究会編(1996)『現代用語の大語源』青春出版社
日本語表現研究会(1994)『語源がわかる言葉の事典』PHP研究所
日本語を考える会編(1997)『ふだん使っている日本語ものしり辞典』角川書店
花咲一男監修(1994)『大江戸ものしり図鑑』主婦と生活社
樋口清之(1988)『樋口清之の雑学おもしろ歳時記』三笠書房
樋口清之(1988)『樋口清之博士のおもしろ雑学日本史』三笠書房
樋口清之(1992)『樋口清之博士のおもしろ雑学日本「意外」史』三笠書房
平井昌夫(1974)『何でもわかることばの百科事典』三省堂
堀井令以知(1988)『語源大辞典』東京堂出版
堀井令以知(1990)『語源をつきとめる』講談社
丸山林平(1967)『上代語辞典』明治書院
三浦竜(1996)『ものしり大語源』三笠書房
三井銀行編(1986)『ことばの豆辞典』三井銀行
村石利夫(1995)『知ってなるほどの語源1000――勘違いしている言葉・意外な由来366日』講談社
山口佳紀編(1998)『暮らしのことば語源辞典』講談社
山口佳紀(1999)『なるほど語源辞典』講談社
山口佳紀編(2008)『暮らしのことば新語源辞典』講談社
山中襄太(1970)『方言俗語語源辞典』校倉書房
吉田金彦(1990)『ことばのカルテ ふだん語小辞典』創拓社
吉田金彦(2003)『日本語 ことばのルーツ探し 意外な由来、面白い語源』祥伝社
☆読売新聞校閲部(2004)『日本語「日めくり」一日一語 第2集』中央公論新社
わぐりたかし(2009)『地団駄は島根で踏め 行って・見て・触れる《語源の旅》』光文社

*1:前田勇(1965)『上方語源辞典』東京堂出版

*2:市古貞次校注・訳(1994)『新編日本古典文学全集45 平家物語1』小学館 p.403

*3:平家物語』には異本が多く、断言するのはちょっと怖いのです

*4:この本の存在は、twitterで杉村喜光さんにご教示いただきました。ありがとうございます

*5:井上史雄、荻野綱男(1984)『新しい日本語・資料図集』 pp.244-245

*6:「エッサッサの〝オッチェン〟 「近ごろの学生語」大阪版」『週刊朝日』1952年5月18日号 pp.40-41

*7:渡辺友左(1981)『隠語の世界 集団語へのいざない』南雲堂 p.195

*8:国立国語研究所(1981)『専門語の諸問題』秀英出版 p.159

*9:金澤信幸(2013)『バラ肉のバラって何? 誰かに教えたくてたまらなくなる“あの言葉”の本当の意味』講談社 pp.48-49。なお本書も「平安時代にはすでに使われていたとも言われている」と書いている。ネット上には、この説を扱った2006年付の記事がある

*10:本書には「源平合戦から出た言葉」という章があるが、「びびる」は採り上げられていない

*11:「びびる 緊張して上手に出来ないことをいう。」とある