四次元ことばブログ

辞書と言葉に関するあれこれを、思いつくままに書き記しておくことにしました。

辞書マニアによるアニメ『舟を編む』第2話感想と解説。「辞書=舟」の新しさ

アニメ『舟を編む』の第2話が放送されました。前回に引き続いて、辞書マニア的視点から解説を試みます。

 

※以下、アニメ本編の画像はAmazonプライム・ビデオ『舟を編む』第2話「逢着」*1をキャプチャしたものです。

 

玄武書房はどこか

「どこか」って、答えは第1話ですでに出ていまして、西岡の名刺に「東京都千代田区一ツ橋二十五丁目五番地」とあります。25丁目ってどんだけ一ツ橋広いんだよって感じですが、現実の千代田区一ツ橋には1丁目と2丁目しかありません。一ツ橋は小学館集英社岩波書店が集結する一大出版社密集地です。

 

このそばに、靖国通りと白山通りの交わる神保町交差点があります。神保町をぶらついている人であれば脳裏に焼き付いて消えないここの景色が、第2話の冒頭でフィーチャーされましたので、テンションの上がった人も多かったのではないでしょうか。

 

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アニメで「イナダ薬局」になっているのが、かつてのキムラヤさん*2、現在のヤマダモバイル神保町店です。

 

 

こういうのを「聖地」というのでしょうか。巡礼しましょう。

 

せい ち【聖地】〔中略〕③俗に、発祥の地やシンボルとなるところ。また、書籍・映画・アニメなどの舞台となった場所や、著名人にゆかりのある場所。
――スーパー大辞林3.0 *3

 

中華料理屋として「七宝園」が登場しますが、これは架空のお店で、原作にも登場します。うまそうな中華料理の監修は、吉祥寺の中華料理屋「創作中華酒房 幸宴」さんが行っているとのことです。

 

 

店のツイートによれば、お皿やグラスも幸宴さんのものを再現しているようです。

 

「辞書=舟」の新しさ

辞書は、言葉の海を渡る舟です。言葉がなければ、自分の思いを表現することも、相手の気持ちを深く受け止めることもできません。人は辞書という舟に乗り、最もふさわしい言葉を探して暗い海面に浮かび上がる小さな光を集める。言葉は光なのです。しかし、刻々と変化する世界でうまく言葉を見つけられず、行き場を失った感情を胸に葛藤の日々を送る人もいる。そういう人々にも安心して乗ってもらえるような舟、それが、我々が作ろうとしている辞書、「大きな海を渡る」と書いて『大渡海』です。

 

松本先生は、新しい辞書を作る理由として、自身の辞書に対する哲学を披露します。

 

フーン、いいこと言うね、と聞き流してはいけません。

 

従来、辞書は「言葉の海を渡る舟」などではなく、「言葉」そのものにたとえられてきました。現在も改訂が続く『広辞苑』も『大辞林』も『大辞泉』も、それぞれ「言葉のその」「言葉の林」「言葉の泉」という意味で、辞書それ自体が言葉の集合体だと自認しているわけです。この発想は、最初の近代的国語辞書『言海』(=言葉の海)から変わっていません。

 

ところが、『大渡海』は違う。辞書はあくまで、人が言葉を使う助けになる道具にすぎないのだと、言葉に対して一歩引いた姿勢を示しています。言葉の海はあまりに広く、深い。これを全てすくい取ることなどできない。しかし、広い海から浮かび上がってくるわずかな光=個々の言葉を、舟の上からつかまえることならできるかもしれない。海を渡る舟の船客に、求める光を見せることができるかもしれない。辞書とは、そういう舟であるべきなのだ。言葉に対しなんと謙虚で、そして辞書の利用者に寄り添った考え方でしょうか。私はこの理念に敬意を表します。

 

清泉女子大学今野真二教授も、この発想が現代的であると指摘しています。

 

三浦しをん氏の小説『舟を編む』のように、辞書を大海を乗り超えていく舟に喩えるのは、辞書を道具=ツールと捉える現代的な比喩に思える。*4

 

用例カードを鑑賞する

このアニメの最大の見どころである、実例の転記された用例カード。今回、カードの詳細が明らかになったので、大興奮でしたね。先週指摘した通り、14字×6行のカードであることが明確になりました。

 

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今週も頑張って出典を探します。昨日の今日なので成果は芳しくありませんが、勘弁してください。

 

糾わる

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「からみあう」という意味の古語です。カードの例は『大辞林』や『大辞泉』にも用例として挙げられている『日本書紀』のものです。

 

あざわ・る あざはる【糾はる】(動ラ四)からみあう。まつわる。あざなわる。「我が手をば妹に枕かしめ真栄葛たたき―・り/日本書紀継体」
――スーパー大辞林3.0 *5 

 

日本古典文学大系』では、該当の部分は読み下し文が

 

我が手をば 妹に纏かしめ 真柝葛 たたき交はり 鹿くしろ 熟睡寝し間に*6

 

という表記になっており、「たたき交はり」にあたる箇所の原文は「多々企阿蔵播梨」です。

 

アサンガ

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インド大乗仏教の論師である無着のサンスクリット名です。固有名詞ですね。原文は八力広喜「ナーガールジュナにおける真実の意味」で、以下の箇所。

 

ところがすでに以上のような観点に立って,ナーガールジュナとアサンガとを具体的に比較の対象とした学者がいる。アサンガの『瑜伽論・菩薩地』の「真実義章」の翻訳をしたD・ウイリス女史である。*7

 

備考欄にある「リス女」って何だと思ったら、ただ本文が続いているだけでした。

 

亜酸化窒素

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わかりませんでした。ヒントが多いのでもう少し調べれば特定できそうです。

 

朝ドラ・朝採れ

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「朝ドラ」は出典がはっきり読めます。産経新聞「戦後史開封」取材班編(1995)『戦後史開封』扶桑社です。

 

三省堂国語辞典』には「朝ドラ」が最新の第7版から立項されています。この基礎資料になったものでしょう。そうそう、書き忘れていましたが、アニメ『舟を編む』に登場する用例カードは、『三省堂国語辞典』の編纂者である飯間浩明先生の提供によるものが大部分を占めていると思われます。

 

「朝採れ」も出典が読めますが、新聞の日付がありません。「90/7/21」というのは、用例を記録した日のようです。原典にあたりにくく、資料としてはやや難があります。

 

仕方がないので、ちゃんと確認しておくとしましょう。これは日本経済新聞1985年6月6日夕刊*8のものだと思われます。

 

ただ、縮刷版で確認した原文(以下)と、カードの記録が少し違っているのですよね。

 

阪神百貨店は地下一階の食料品売り場に鮮度を売り物にした「朝採り野菜コーナー」=写真=を設けた。

 

転記ミスか、あるいは地域や版によって文面が違っていたのか、よくわかりません。なお、「朝採り」も『三省堂国語辞典』第7版からの新規立項語です。

 

無理難題・無謀・迷宮

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真ん中の「無理難題」は出典が読めます。芥川龍之介の「偸盗」の新潮文庫版ということですから、1968年の『地獄変・偸盗』ですね。

 

「無謀」は一部しか見えませんが簡単で、夏目漱石の『吾輩は猫である』にあります。原文は以下。

 

大に泥棒の無謀を憫笑したが又一人を捉らまへて「はい/\御寒う。あなた方は、御若いから、あまり御感じにならんかの」と老人丈に只一人寒がつて居る。*9

 

カードでは「老人だけ」と「だけ」がひらがななので、底本は違うようです。

 

「迷宮」はわかりませんでした。

 

まほろ

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これは有名ですから説明不要でしょう。『古事記』にある倭健命の歌ですね。出典は見切れていますが『新編日本古典文学全集』のようです。いちおう引いておきましょう。

 

倭は 国の真秀ろば たたなづく 青垣 山籠れる 倭し麗し*10

 

もみじ・ものの哀れ

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どちらも出典が読めますが、念のため。「もみじ」は川端康成の「古都」、「ものの哀れ」は谷崎潤一郎の「細雪」。「細雪」は『細雪 中巻』と読めます。全集(新潮社)の「古都」では、「ああ、今年も咲いた」からは行が改まっています。

 

平和

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矢野龍渓の『経国美談』ですね。未読なので岩波文庫を借りてきました。平和を探し求めて読んでいるところです。

 

たられば・だよね

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「たられば」は朝日新聞1990年4月24日朝刊の投書*11から。30代の主婦が、何かにつけ「たられば」を口にする人に苦言を呈しています。

 

それにしても、人と会話をしていて感じるのは“たら、れば症候群”の何と多いこと。もちろん私自身も含めてだが、概して女性、それも年齢が高くなるにつれ、増えるように思う。 

 

「だよね」はわかりませんでした。

 

ことば・こと・このかた

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今回の用例カードで最も興奮したのは「ことば」の例です。

 

由来言葉というものは不自由な伝達手段である。この際も意思の疏通を妨げたのは言葉であり、又評者の心的態度であった。*12

 

原文には文頭に「由来」があります。転記する場合はここから書き抜くべきでしょうが、アニメの演出上は文頭に「言葉」のフレーズが現れるほうがよいという判断だったのでしょう。

 

この著者の山田忠雄は、言わずもがな、『新明解国語辞典』の編集主幹です。馬締が辞書編纂にその身を捧げることを心に誓ったこの場面で、山田の「言葉」がクローズアップされる。ニクい演出じゃありませんか。

 

ちなみに、上の文は、山田が『新明解国語辞典』初版の序文に書いた「あらゆる模倣をお断りする」という姿勢が傲岸だとか学問を私物化しているだとか批判されたことについて、言い訳めいた恨み言を繰っているのです。いや、真面目な話、真っ当な反論だと思います。思いますが、火に油を注いでいる気もします。余談です。

 

「こと」と「このかた」を特定するのはもう疲れたのでやめます。

 

「こと」だけ原文の切り抜きが貼ってあるようですが、どうしたのでしょうか。誤記の心配がない切り抜き法を導入した後の、比較的新しいカードなのかもしれません。

 

用例カードのケースはいくつあるか

ところで、さきほどの「だよね」のカードが入っていた「だよね~だらり」のケースには、「502」の番号が振ってあります。先週の放送では「間狭」のケースに「792」、「街履き」のケースに「793」の番号が振ってあるのが確認できます。通し番号ですね。

 

何がしたいのかおわかりでしょう。カードケースが一体いくつあるのか推定するのです。

 

『大渡海』と同規模の辞書である『大辞林』を用いて検討しましょう。『大辞林』第3版に「だよね」の見出しはありませんが、あるとすれば1577ページ。「間狭」は2394ページにあります。『大辞林』の本文は全体で2754ページありますから、「だよね」は全体の57%、「間狭」は87%の位置にあることになります。

 

「502」が57%になるなら、全体は881。「792」が87%になるなら、全体は910です。玄武書房辞書編集部にはだいたい900個のケースがあるとみていいでしょう。

 

作中の荒木のセリフによれば、現在までに90万枚のカードが作成されているとのことなので、1箱あたりにおよそ1000枚のカードが入っていることになります。

 

大辞林』で「だよね」(が入る位置)から「だらり」(の小見出しの「だらりの帯」)までの間には、小見出しや派生語も含めて106の語が収まっています。「だよね~だらり」の箱にも約100語の用例がおおむね10ずつ記録されていると考えるとシンプルですが、実際には、用例は記録したものの立項には至らないという語も多数あるでしょうから、1語あたりの平均用例数はもっと少ないものと思われます。

 

辞書を鑑賞する

今回登場した実在の辞書はこちら。

 

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オープニングに『大辞泉』第2版(2012年)。タイアップ企画での登場です。

 

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見出し語の対照に用いられているのは、現在も中型辞書の三英傑である『広辞苑』(左上)と『大辞林』(下)と『大辞泉』(右上)の3冊。『広辞苑』は5版(1998年)、『大辞林』は2版(1999年)です。『大辞泉』は当時の最新版である増補・新装版(1998年)と思われます。

 

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広辞苑』と『大辞泉』は馬締の部屋にも置いてあります。『大辞泉』の初版と増補・新装版はカバーがよく似ていて区別が難しいのですが、馬締の『大辞泉』は、題字の下にうっすらと白い文字があるのがわかりますので、増補・新装版のほうであることがわかります。ううむ、よく書き込まれています。

 

まとめ

用例カードの出典の特定は労力のわりに得るものが少ない。

 

 

関連エントリ

前回

fngsw.hatenablog.com

 

次回

fngsw.hatenablog.com

 

*1:舟を編むAmazonビデオ-プライム・ビデオで http://amzn.to/2l2b675 2016/10/21閲覧

*2:2014年3月閉店

*3:物書堂版iOSアプリ「大辞林」Version 4.1による

*4:今野真二(2014)『「言海」を読む ことばの海と明治の日本語KADOKAWA p.22

*5:注3に同じ

*6:坂本太郎ほか校注(1965)『日本書紀 下 日本古典文学大系68』岩波書店 p.29

*7:八力広喜(1985)「ナーガールジュナにおける真実の意味」『北海道武蔵女子短期大学紀要』17巻 p.19

*8:3面「新鮮な野菜食卓に 阪神百貨店 『朝採りコーナー』新設」

*9:夏目漱石(1965)『漱石全集 第一巻 吾輩は猫である岩波書店 p.280

*10:山口佳紀ほか校注(1997)『古事記 新編日本古典文学全集1』小学館 p.233

*11:17面「暗い“たら、れば症候群”」

*12:山田忠雄(1981)『近代国語辞書の歩み その摸倣と創意と 下』三省堂 p.919-920