辞書マニアによるアニメ『舟を編む』第6話感想と解説。『言海』あれこれ
辞書編集部の両輪は崩れかけ、『大渡海』編纂に暗雲が立ち込める――アニメ『舟を編む』はいよいよ第6話、物語は大きなターニングポイントを迎えます。今週も蛇足的解説を施してまいりたいと思います。
※以下、アニメ本編の画像はAmazonプライム・ビデオ『舟を編む』第6話「共振」*1をキャプチャしたものです。
辞書編集部と馬締の『言海』
今回は大槻文彦の『言海』がフィーチャーされた回でした。今更解説するまでもないかもしれませんが、『言海』は最初の近代的国語辞書とされる大著です。文部省主導で編纂が始まったのが1875年。1886年にひとまずの完成を見ますが、文部省からは出版されず、その2年後に原稿が下げ渡されます。大槻は結局『言海』を自費で出版することとなり、最終校正のさなかに妻子を亡くす不幸に見舞われながら、1889年から1891年にかけ4分冊として刊行するに至ります。作業はほぼ独力で行われました。
▲辞書編集部の『言海』
『言海』には様々なバージョンがありまして、大形本(四六倍判)、小形本(菊半裁判)、中形本(四六判)、寸珍本(四六半裁判)が知られています*2。
辞書編集部と馬締の部屋にあったのは装丁からどちらも小形本とみられます。この判型のものは明治37(1904)年から昭和16(1941)年まで刊行されていますが、古いものと新しいものでは装丁が異なっており、アニメで描かれているのは新しいほうです。ただし、恥ずかしながら私の『言海』コレクションは手薄なもので、いつから装丁が新しいものに変わっているかまではわかりません。もっと頑張らないといけませんね。
▲馬締の『言海』
編集部のものには外函が残っており、馬締が持っているものは函無しでした。それぞれの『言海』が辿ってきた道を想像させます。よいですね。
『言海』豆知識
大人気コーナー「おしえて!じしょたんず!!」でも、『言海』の豆知識が披露されていました。
1000回も増刷されたというあの伝説の辞書!
明治時代に刊行された『言海』は戦後まで重版が続き、1000版(今でいう1000刷)に届いています。文字通りの桁違いです。
芥川龍之介が『言海』の「猫」について述べた随筆はあまりに有名で、幾度となく引用されています。青空文庫でも読めますから、未読の方はぜひ。二十四「猫」がそれです。
「猫」の説明に「盗み癖がある」と書くなんて(笑)とからかうようにも読める口調ですが、辞書の語釈に文化的背景に由来する「非科学的な」記述があっても別にいいのです(むしろ書くべきです。詳しく話すと長くなるのでやめておきましょう)。
漱石の『明暗』には『言海』が出てきますし、大正元年の書簡でも『言海』を引いてみせています。
折口信夫や志賀直哉なども『言海』を用いていたと自著で明らかにしています。志賀直哉はのちに『言海』を人に譲って『広辞林』を買っていますが。
昔の詩人がページを食べたという、あの!
「昔の詩人」というのは北原白秋のことでしょう。北原白秋は『言海』のページを食べて覚えていたといわれることがあります。実際は、ページを切り抜いて暗記し、覚えたら近所の堀に捨てて「辞書を食べた」と言ったのだという話もあります*3。いずれにせよ伝聞で真偽不明です。
「一八九一年に刊行された」と紹介されていますが、1889年に第1~2冊が、翌年に第3冊が、1891年に第4冊が刊行されていますので、お間違いのなきよう。一冊本も1891年に出ています。
『言海』を読んでみる
ちなみに、“伝説の辞書”『言海』は2004年にちくま学芸文庫から覆刻されており、簡単に手に入れることができます。底本は、玄武書房にあるのと同じ小形本*4。いい時代になったものです。
また、『言海』は著作権が切れていますから、ネットでも公開されています。引きやすいのは「WEB言海」というサービスですが、底本は不明です。
豆知識ばかり知ってもあまり意味がありませんし、「伝説」扱いして崇拝するのも目が曇ってよくありません。中身を読みましょう。
▲中身
馬締は本編で「料理人」の項目を読み上げていました。旧仮名遣いの見出しや片仮名の使用など、慣れないと敬遠してしまうかもしれませんが、内容はそんなに難しくありません。
てごわいのは複雑な約物(種々の記号)です。
たとえば、見出し「れうりにん(りょうりにん)」の直下にある漢字表記(料理人)の傍線は一本ですが、その3つ先の項「れうれう(りょうりょう)」の表記(寥寥)や、その次の「れき」の表記(暦)にある傍線は二重になっています。これは、ごく簡略化して言えば、単なる傍線は日本独特の用字(「和用」)、二重傍線は中国語でも同じ意味で通用する用字(「和漢通用」)であることを示しています。
語釈の末尾にある「厨人*5」には二重の傍線が引いてあります(下画像)。これは『言海』の凡例および索引指南中では「漢用字」ないし「漢ノ通用字」と呼称されていますが、見出し語の漢語類義語とみなせる記述で、料理人≒厨人であるということを表しています。
この「厨人」は『言海』の見出し語にはなっていません。『言海』の見出し語は「普通語」であると謳われていますので、大槻文彦は「厨人」を当時の日本の普通語とは理解していなかったと考えることができます。反面、こういった漢語の情報を語釈中に取り入れ、見出し語を補っているわけです。
『言海』にはそもそも漢語の見出しが少ないと指摘されることもありますが、印刷直前の稿本の段階では相当数の漢語が見出しの候補になっていた点に留意する必要があります。
ためしに、稿本の「れうりにん」があるページを見てみましょう。
この見開きだけで、現代では普通に使う「療養」も含む5つもの漢語が削除されています。稿本の段階では大槻もこれらの語を「普通語」と認識していたはずです。また、「れうりにん」の項には、漢用字「庖宰」もあったことがわかります。なお、「厨人」は稿本の見出しにもありませんでした。
タイアップ辞書
今週のタイアップ辞書は日本漢字能力検定協会の『漢検漢字辞典』第2版(2014年)でした。
親字を五十音順で引けることや、他の多くの漢字辞書が漢文を読むためのものであるのに対し、本書は現代日本語の熟語を多く採録していることなど見どころが多く、実用にも耐えます。実用の域を出ないとも言えます。漢検の是非はともかく、漢検対策には便利に使えますよ。
まとめ
『言海』を引こう。
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