四次元ことばブログ

辞書と言葉に関するあれこれを、思いつくままに書き記しておくことにしました。

辞書マニアによるアニメ『舟を編む』第1話感想と解説

辞書の編纂を描いたテレビアニメ『舟を編む』の本放送が、10月13日深夜からスタートしました。

 

馬締と西岡の関係性に萌える向きもあるようですが、私は辞書マニアなものですから、辞書マニア的観点からアニメ『舟を編む』第1話を鑑賞してまいりたいと思います。

 

※以下、アニメ本編の画像はAmazonプライム・ビデオ『舟を編む』第1話「茫洋」 *1 をキャプチャしたものです。

 

時代設定はいつか

原作の小説ではおそらく2009~2010年から*2、実写映画版では1995年から物語がスタートした『舟を編む』。テレビアニメ版ではどうなるのかが、最大の関心事の一つでした。

 

なぜ物語の時代設定にこだわるのか。それは、変化し続ける「言葉」と、作中に登場する実在の辞書を描写するのに、時代考証は不可欠だろうと考えるからです。

 

さて、ざっと見ると、あちこちに見切れる西暦の表記と、営業部のカレンダーから、2000年9月であることが強く推察されます。

 

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▲書店の張り紙にあるフェアの期間が2000年8月から10月

 

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▲西岡が読んでいる雑誌が2000年10月号

 

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▲営業部のカレンダー。「September」と読め、曜日は2000年9月と一致

 

他にも、早雲荘の電話帳が2000年版だったり、馬締が整理している書類が2000年のものまでだったりします。

 

原作では、辞書『大渡海』の編纂に約16年を費やしています。アニメ版でも同じだとすれば、2000年に物語が開始するなら、辞書の完成は今年(2016年)になります。

 

しかし、2000年ではあり得ない描写もあります。

 

冒頭、馬締が通勤に東京メトロ半蔵門線を使っていることが明らかになります。

 

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東京メトロの青いロゴマークと、丸に英数字の書かれた駅ナンバリング表示がはっきり確認できますが、帝都高速度交通営団営団地下鉄)が民営化され東京地下鉄株式会社東京メトロ)に改組されたのは2004年4月。駅ナンバリングの実施も民営化に伴ってのことです。

 

また、行先表示が「押上」になっていますが、半蔵門線水天宮前駅から押上駅間が開業したのは2003年3月のこと。車両も東武の30000系とみられますが、半蔵門線東武線の相互直通運転が開始したのも押上駅開業と同日です*3

 

辞書マニア的に見逃せないのが、定年間際の辞書編集者・荒木が、中学時代に『岩波国語辞典』(以下、岩国)を使っていたと証言していることです。

 

岩国の初版が刊行されたのは1963年。岩波書店はこれ以前に小型辞書を作っていません。一方、荒木が2000年に60歳だとすると、中学時代は1950年代前半。荒木が中学に入学した時点では、『岩波国語辞典』は影も形もなく*4、『広辞苑』(初版1955年)ですらまだ編集中と思われます。

 

フィクションですから、現実とは事実が異なっているのだと解せばそれまでですが、現実の辞書史と『大渡海』を重ねて楽しみたい身としては、年代学は徹底したい。

 

というわけで、ひとまず「アニメ版『舟を編む』は、早くとも2004年4月以降が舞台である。書店や営業部はたまたま古いポスターやカレンダーを張ったままにしていた。荒木が中学時代に岩国を使っていたという記憶が正しければ、舞台は2000年代後半以降である。荒木の記憶違いの可能性もある」という説を提唱したいと思います。

 

ただ、制作側の意図としては、やはり2000年9月が「現在」であると思われます。

 

辞書を鑑賞する

作中にはいくつか実在の辞書が登場しました。見てみましょう。

 

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オープニングに登場したのは『広辞苑』第6版(2008年)です。別冊の付録もしっかり再現されています。これは辞書出版社とのタイアップによるもので、時代考証とは関係ありません。今後、週替わりで各社の辞書が描かれるそうです。

 

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荒木のデスクに積み上げられているのは、『広辞苑』第5版(1998年)と『三省堂国語辞典』(以下、三国)第4版(1992年)ですね。なお、三国の第5版は2001年の刊行で、東京メトロの時代にはすでに5版がありますが、これ以上深追いするのはやめておきましょう。

 

三国の上に載っているのは架空の辞書『玄武学習国語辞典』。原作では『玄学』の略称で呼ばれていました*5。ダサい学習辞書らしいデザインが絶妙ですね。今後の活躍に期待です。

 

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松本先生が読んでいるのも『広辞苑』第5版。紙面はすでにtwitterで特定されている方がいます。

 

 

1302〜1305ページが描かれています。

 

ちなみに、右手の文献は、辞書編纂者の飯間浩明先生によれば『批評と研究 芥川龍之介*6だそうです。

 

 

原典にあたってみました。

 

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189ページの版面が見事に一致します。

 

用例カードを鑑賞する

舟を編む』のキーアイテムの一つに「用例カード」があります。辞書に言葉を載せるためには、当たり前ですが、その言葉の実例が確認されていなければなりません。この実例を記録しておくのが用例カードです。

 

用例カードの創始者は、三国と、その前身である『明解国語辞典』(以下、明国)の編者である見坊豪紀です。見坊が用例採集を始めたのは昭和14年に三省堂から明国の編集を依頼されてからですが、このとき三省堂から渡されたのが、A5判を縦半分にした大きさの、5行101字詰め(1行目が1字分多い)原稿用紙でした。このシンプルな用紙が用例カードとして使われたのです。見坊はこれをその形から「タンザク」と呼んでいました。*7

 

採集した語は、文脈を含めて転記することが必要です。しかし、手書きによる転記では誤記が避けられず、労力もかかるので、見坊は最終的に現物の切り抜きを(現物を切り抜けないときはコピーや写真によって)直接カードに貼る「切り抜き法」にたどり着きました。見坊がこの方法を継続的に行うようになったのは、三国2版の編集作業のときからだそうです。*8

 

三省堂の中型辞書『大辞林』初版の編纂にもカードが用いられましたが、こちらは用例カードではなく、「語彙カード」と呼ぶべきものです。サイズはB7くらいで横長。言葉の実際の使用例ではなく、既存の国語辞書、和英辞書、百科辞書などから項目を抜き出して作ったもので、主に項目の選定に使われました。見坊のタンザクとは異なり、あらかじめ漢字表記や品詞などを書く欄も備えられていました。*9

 

現在の大辞林編集部では、語彙の採集に、タンザクに近い原稿用紙型のカードを使っているようです。しかし、Eテレ『辞書を編む人たち』*10では、用例を記録せず、カードに直接語釈の案を書き込んでいく本間研一郎氏(『大辞林』第3版編集長)の姿が印象的に放映されました*11。このカードは、比率も見坊カードに比べ太っちょで、また品詞などを書く欄もあらかじめ用意されており、『大辞林』の語彙カードの流れを汲んでいるように思われます。

 

映画版の『舟を編む』では、松本先生はカードに直接語釈を書き込む方式をとっていました。

 

さて、以上を踏まえて、アニメ版『舟を編む』の用例カードを見てみましょう。

 

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サイズ感や、出典を書く欄があらかじめ備えられている点をみると『大辞林』式のようですが、実際の例が転記されていますので、見坊式といえるでしょう。ただし、現物を貼り付けているわけではないようですね。誤記が心配です。

 

左の「間狭」の例は、落語の『宿屋の仇討』(『宿屋敵』)のもののようですが、底本まではまだ特定できていません。あしからず。

 

真ん中の「街履き」の例は、読売新聞1997年7月29日東京夕刊の記事*12からのものです。行頭が作中のカードと揃うように改行して、原典から引いてみましょう。

 

市場が好況な理由を「東京にく
る修学旅行生が皆、こうした靴
を履いているのを見れば分かる
ように、タウンユース(街履き)
に支えられた人気」と分析。

 

1行は14字。14字×6行の原稿用紙というのも、『大辞林』編集部のものと同じですね。

 

西岡の新語チェック

チャラチャラした辞書編集部員の西岡は、俗な言葉遣いをしています。「2000年ごろにそんな言い方あったかな」というのが気になるところです。

 

真面目っつうか天然なのも結構だけど、要するにもう少し空気読めってこと

 

馬締の頭を悩ませた「空気を読む」。今週はこの言葉に注目してみましょう。新しい言葉のようですが、どうでしょうか。

 

2005年から2006年にかけて行われた大修館書店のキャンペーンで投稿された言葉から編まれた『みんなで国語辞典!*13では、「空気を読む」がひときわ大きい見出しになっており、新語の代表格のような扱いです。

 

新語に強い三国では、2008年の第6版から、「空気」の用例に「空気を読む」が掲げられました。

 

しかし、実例を見てみると……

 

こんどの実施延期も、高校、大学の空気を読んだうえで文部省幹部と連携し根回しした形跡がある。
――「新テスト延期 問題残る実施時期先行 中身にも疑問の声」朝日新聞1986年11月28日朝刊3面

 

スタジオの入り口でハラハラしていた渡辺マネジャーは「瞬間的に周りの空気を読み取ることのできる子。この路線でいける」と実感した。
――「連載 森口博子の主張(2)」日刊スポーツ1992年1月10日22面

 

ゲームは新しい段階に入った。空気を読み、戦術を考えるんだ。
――「『タブー』が破られる スハルト神話への挑戦」AERA 1998年2月23日号 p.21

 

コロケーションとしては1980年代にもあったことがわかります。2000年には普通に使われていたでしょう。「空気読め」というような言い方は、この頃から流行りだしたのではないかと思います。

 

西岡の言い回しでは他に「ちげー」「天然」も気になるところですが、これだけでブログの記事が数本書ける気がしますので、またにしましょう。「ちげー」については『辞典〈新しい日本語〉*14あたりを引くと、1990年代から使われていたことがわかります。「天然」は2000年当時もまだ新しい言い方だと思いますが、目下調査中です。

 

荒木の視点

あんまり辞書と関係ありませんが、これは褒めておかねばなりません。ベテラン辞書編集者である荒木の主観視点になる場面、その場のありとあらゆる文字がふわっと浮かび上がり、それ以外の物はぼやけてしまうという演出があります。

 

用例採集するぞと意気込んで街歩きをすると、これ実際に、焦点が文字にだけ合って、他のどうでもいい人や自転車や側溝などは目に入らなくなりますよね。そして人や自転車にぶつかり側溝に落ちる。ワードハンターのみなさんならご経験がおありだと思います。それを、文字が浮き出るという方法で描いた。ああ! 新しいが、見覚えがある! なんて美しいんだ!

 

荒木は何でもない時でも文字が浮き上がって見えるほど、言葉に耽溺しているのでしょう。そういう目でありたい!

 

もういっそ来週からは全編この演出にしましてですね、ほぼ字だけで進行してくれたら21世紀最高のアニメになると思うんですが、いかがですか。だめですか。

 

まとめ

アニメ版『舟を編む』はよかった。

 

 

関連エントリ

次回

fngsw.hatenablog.com

 

*1:舟を編むAmazonビデオ-プライム・ビデオで http://amzn.to/2l2b675 2016/10/14閲覧

*2:http://fngsw.hatenablog.com/entry/2016/08/22/235425

*3:沿革|東京メトロ http://www.tokyometro.jp/corporate/profile/history/index.html 2016年10月14日閲覧

*4:初版のあとがきに「この辞書の計画されたのは、昭和二十九年の春である」とある

*5:文庫版 p.144

*6:文学批評の会編(1972)『批評と研究 芥川龍之介芳賀書店

*7:見坊豪紀(1990)『日本語の用例採集法』南雲堂 p.28

*8:同前 p.41-

*9:倉島節尚(1996)「語彙選定の方針と方法」『日本語学』15巻13号,明治書院

*10:2014年12月13日放送

*11:カードには出典を書く欄もありますので、実例の記録にも使われていると思われます

*12:3面「ナイキ急進で火がついた シューズ戦争白熱 総出荷額2000億円突破へ」

*13:「もっと明鏡」委員会編(2006)『みんなで国語辞典! これも、日本語』大修館書店

*14:井上史雄、鑓水兼貴編著(2002)『辞典〈新しい日本語〉』東洋書林