四次元ことばブログ

辞書と言葉に関するあれこれを、思いつくままに書き記しておくことにしました。

三省堂国語辞典と新明解国語辞典の「魚」の語釈が同じだけど大丈夫か

突然ですが、『新明解国語辞典』(以下、新明国)第7版で「うお」を引いてみましょう。

うお[魚]
水中にすみ、ひれと うろこが有って、よく泳ぐ脊椎動物。食用になるものが多い。さかな。

 

こんどは『三省堂国語辞典』(以下、三国)第7版で「さかな」を引いてみます。

さかな[魚]
水の中にすみ、ひれと うろこがあって、よくおよぐ動物。食用になるものが多い。うお。

 

似すぎです。というか、ほぼ同じです。偶然なのでしょうか。

 

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▲新明国と三国 

 

 ※本稿における辞書の引用では、論旨に差し支えない範囲で語義区分および約物などを省略しています。

 

他の辞書では

他の辞書も引いてみましょう。

 

『岩波国語辞典』第7版新版では

うお【魚】
水中をすみかとし、主としてえらで呼吸し、ひれで運動する脊椎動物

とあります。この語釈だと「うお」しか知らない人は「さかな」に辿りつけませんが、ここでは置いておきましょう。

 

集英社国語辞典』第3版は、「さかな」を引くと「うお。魚類の総称。」とだけあります。「うお」を引くと今度は「魚類の総称。さかな。」だそうです。「魚類」を引いたらちゃんとした説明がありました。回りくどい設計ですね。

ぎょるい【魚類】
脊椎動物の一種で、魚の総称。水中にすみ、ひれがあり、えら呼吸する。多くは体がうろこで覆われる。〔下略〕

 

「魚類」=「魚の総称」かつ「さかな」=「魚類の総称」ということは、「さかな」=「魚の総称の総称」ということになり、何かもう今にも泣きそうな気分ですが、ここは広い心で受け入れましょう。

 

いかんいかん、本題が見失われそうです。なぜ他の辞書も引き合いに出したかというと、新明国と三国の魚に関する記述がよく似ているのは、決して偶然ではないのだということを説明したかったわけです。『岩波国語辞典』も『集英社国語辞典』も、言っていることはだいたい一緒ですが、新明国、三国と似た文であるとは言えませんからね。

 

新明国と三国は「兄弟」

すわ丸パクリか、と思うのは早計です。実は新明国と三国は「兄弟」の関係にある辞書なのです。『明解国語辞典』(以下、明国)という一冊の辞書から血を分けて成立したのが、新明国と三国なんですね。これは辞書界隈では常識です。ここまで茶番にお付き合いくださった界隈の方にはお礼申し上げます。

 

詳しい事情をお知りになりたい向きは『明解物語』(品切れ)や『辞書になった男』をお読みください。

 

明解物語

明解物語

 

 

念のため、三国、新明国それぞれの初版における記述も確認しておきましょう。

さかな[魚]
水のなかに住み、ひれとうろこがあって、よくおよぐ動物。食用になるものが多い。
――『三省堂国語辞典』初版(1960)

うお[魚]
水の中にすみ、ひれと うろこが有って、よく泳ぐ動物。食用になるものが多い。さかな。
――『新明解国語辞典』初版(1972)

 

用字が違うほかは、全く同じです。

 

明国から引き継いだわけじゃなかった

三国と新明国は、「魚」の記述が初版からほとんど同じでした。ここから推測されるのは、ふたつの辞書の親にあたる明国も、また似たような記述をしているであろうということです。というわけで、『明解国語辞典』改訂版(1952)を引いてみましょう。

うお[魚]
魚類の総称。さかな。

さかな[魚・肴]
魚類。

ぎょ るい[魚類]
せきつい動物の一類。えらで呼吸して、水中に住む動物。魚族。

 

んんん? 全然違うぞ?

 

改めて確認しておきます。三国と新明国は、明国から枝分かれして生まれました。刊行の順番がわかりやすいよう、図にしてみます。

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発行の順序から考えると、新明国が三国の記述を丸写ししたのは間違いないでしょう。

 

そんなことしてよかったの?

三国の主幹であった見坊豪紀と、新明国の主幹であった山田忠雄は、ともに明国を作った仲間です。また、三国の初版の編纂には山田も携わっています。こういう事情があるので、確かに単純な盗用とは言えないのかもしれません。

 

現に、三国の原稿が、三省堂の編集者を介して山田の手に渡ったという事実が知られています。そして、その語釈や用例が、新明国に転用されました。

 

しかし、見坊は怒り、鬱憤をぶちまける会を何度も催したといいます。見坊は、語釈の流用には全く納得していなかったわけですね。当時のようすを、三国と新明国の双方に関わった柴田武が証言しています。

それに見坊さんによると、『三省堂国語辞典』第二版のほぼ完成した原稿を、三省堂の実務担当の三上さんに渡した。それを、山田さんが「ちょっと貸せ」と言った。で、それを『新明解』の語釈に使った――と、こう、見坊さんはおっしゃるんですけれどもね。で、山田さんは「同じ仲間だから、使ってもいいじゃないか」と言ったと。〔中略〕『新明国』と『三省堂国語辞典』第二版とを比較してみると、小項目で語釈の寸分違わないのがいくつもある。こういうことがあったからでしょう。*1

 

そうです。「さかな」と「うお」の一致は、まさに、新明国と三国で語釈の寸分違わない項目の実例だったわけです*2。この一致が、40年の改訂を経てなお、今の新明国と三国にも残ってしまっているのでした。

 

新明国は、初版の序文でこう高らかに謳っています。

辞書は、引き写しの結果ではなく、用例蒐集と思索の産物でなければならぬ。〔中略〕今後の国語辞書すべて、本書の創めた形式・体裁と思索の結果を盲目的に踏襲することを、断じて拒否する。

 

しかし、新明国の語釈には、引き写しの結果成った、思索の産物でないものがありました。序文にある山田の理念に照らすと、「同じ仲間だから」では、語釈を流用する正当な理由になりそうにありません。そして、見坊も納得していません。

 

そういうわけですので、やはり流用はよろしくなかったのではないかしらと、こう思うのでありました。おしまい。

 

三省堂国語辞典 第七版

三省堂国語辞典 第七版

 

  

新明解国語辞典 第七版

新明解国語辞典 第七版

 

 

*1:武藤康史編(2001)『明解物語』三省堂 p.254-255

*2:柴田の発言では三国の第2版が引き合いに出されています。山田が「うお」を語釈するとき、三国の初版を読んだのか、第2版の原稿を読んだのかはわかりませんが、実質的には同じことでしょう